訓練所入所まで
- 2001/08/11(Sat) ■ 晴れて無職記念献血をしました。
品川で山手線乗り場に急ぐと事故のため大幅な遅れで結局京浜東北線に乗ることになりました。今度は神田で中央線との接続待ち、
そんなこんなで上野についたのは日が変わって午前1時ごろした。上野の献血ルーム近くの某カプセルホテルで1泊しました。
翌朝は宇都宮線と川越線を乗り継いで川越へ、そこで稚内で会談(?)したばかりの川越在住の献血系某有名サイトの管理人さんに拾っていただいて高崎へ向かいました。
高崎では前橋在住の山好き・献血好きなとある方とも合流して昼食後、無事に献血ルーム「高崎熱血倶楽部」で「無職記念献血」をしました。そしてこれから2泊3日間に渡り、
多々観光などでお世話になりました。
- 2001/08/13(Mon) ■ ようやく実家へ戻りました。
新前橋から前橋・上野・東京・熱海・豊橋・米原・高槻と7回の乗り換えで無事に実家までたどり着きました。(<もちろん「青春18きっぷ」を使用。)
東京駅では話題(?)の輸入冷凍弁当(鮭)を食べましたがはっきりいってご飯が醜い状態で、はっきり言ってクレームをつけたくなるくらいのものでした。
きっと解凍の方法が悪かったのだろうと推測しますが、もしこれが本来の姿だとすれば2度と買いたくありません。
鮭以外にあと2種類あるようなのでもしまた買うことがあれば別の種類のものを買ってみてご飯をチェックしてみたいと思います。
熱海まではオール2階建ての10両編成(<E215系ですか?)でしたが熱海からはオール平屋建ての3両編成(<かぼちゃ色の115系)、超満員でした。
おまけにどうやら有明あたりのイベントのおそろいの袋を持った、わがままなこととしか思えないことを言っているグループが近くにいてまさに
「時間が過ぎ行くのを待つ状態」でした。(<熱海までの車内で昼食を食べておいてよかったとつくづく実感。)
「もっと増結しろや、ゴルァ」だの「最初から座ってる連中は外に逝ってよし」だの、をいをい、座れなかったからってそういうことを言うかぁと思いました。
豊橋からはいたってスムーズで米原乗り継ぎで新快速×2、新しくて早くて快適な車両(<313系と223系でいいんですよね?>その筋の方)のありがたみを実感しました。
が、順調に問題なく訓練を終えれば今度の冬の「青春18きっぷ」の頃にはすでに日本の外、そう思うとなんとも神妙な気分になりました。
- 2001/08/26(Sun) ■ さぬきうどん食べ歩きツアーから戻りました。
8/19の深夜から8/26までの間で6泊(うち1泊船中泊)7日でその筋の方々の「さぬきうどん食べ歩きツアー」(でいいんですか?>その筋)にお邪魔させていただきました。
(うどんは8/20の早朝から8/22の朝あたりまででしたか?) 台風の直撃などなどと大いに疲れましたが、お邪魔させていただけたのも無職だからこそ、
無職のありがたみの1つを実感した今日この頃です。で、帰りに広島県福山市にある献血ルーム「ばら」で成分献血をしました。
実家に戻ると前の勤務先から離職票などが届いていました。これで雇用保険の給付期間延長の手続きに行くことができます。
ただ一つ気に入らなかったのは離職票には離職理由などを勤務先がチェックする欄があり、それに対して「相違ありません」と離職者がサインをする欄があるのですが、
その欄に勝手にサインをされていたことです。給料安い・ボーナス少なすぎる・休みは少ない・残業手当は上限あり・住宅手当は駐車場手当てなどなど不満はありましたが、
こういうところで勝手にサインなどされると「何かやましいことがあって勝手にサインしたんだなあ」と思ってしまいました。
- 2001/08/28(Tue) ■ 免許証の住所変更と職業安定所へ行きました。
朝から自転車で警察署へ行きました。悪いことをして呼び出されたわけではなく、免許証の住所変更の手続きです。
交番で持っていくものと警察署の場所を事前に聞いておきました。新住所を証明するものとして住民票または新住所宛の郵便物を、それから印鑑と、
大阪府外からの転入の場合は写真もいるとのことでした。聞いておいたにも関わらず警察署の前を通り過ぎてしまったのはまあご愛嬌ということで^^;。
申請書を書いて写真を貼って、新住所宛の郵便物1点(<群馬県赤十字血液センターからの献血後の検査結果の書いているはがき)
をセットで提出するとすぐに免許証に新住所を裏書していただいてこれで終わり、案外あっさりしたものでした。
(<でも写真を所定のサイズに切るって結構めんどうな作業ですよねー。)
午後からは離職票と印鑑、そしてJOCVの2次試験合格通知・訓練所入所証明書のそれぞれのコピーを持って茨木の職業安定所へ行き、雇用保険の給付期間延長の手続きをしました。
JOCV参加を理由に退職した場合(<離職票にそう記されている必要はありません)、条件を満たせば自己都合退職でも3か月間の給付制限なしで失業給付を受けることができます。
条件の1つに退職日から訓練所入所日(あるいは技術補完研修開始日)までがおおむね1か月以内、という条件もあります。(自分の場合は8/10退職→9/5訓練所入所です。)
世相を反映してか夕方近かったにも関わらず職業安定所は繁盛していましたが、受付のお姉さんも手馴れたもので、さくさくと今日の手続きが終わりました。
- 2001/09/02(Sun) ■ くじの日だったりしました。
9/2はくじの日。過去1年間のはずれくじの敗者復活抽選(?)が行われる日です。
1次試験の帰りに渋谷で買った年末ジャンボ宝くじのはずれ券をしっかり手元に残しておいたのですが、敗者復活ならず。
「自然と文化とやすらぎの街 渋谷 渋谷宝くじ会」の袋とともにゴミ箱へ消え去りました。
・・・渋谷って自然と文化とやすらぎの街だったのですか?
夜は6月に礼文島で会った方々とそのお仲間方とで梅田で飲み会、2次会はカラオケでした。1次会は自分の、2次会は他の方のカードで支払ったのですがいずれも
JALカードVISAだったりします。マイルを貯めてゲットした特典航空券を次の旅のためにがんばるじょ^^;。
- 2001/09/03(Mon) ■ 荷造りをしました。
7月にKTCから届いていた文書を元に荷造りの仕上げをしました。訓練初日から使用するので持参しなければならないものとしてなぜか「黒の革靴」「ランニングシューズ」
「体育館用靴」が3つとも含まれていました。まさか午後に入所して入所式(<ここで「黒の革靴」はわかります)、その後に体育館で体操でもして外をランニング・・・、
そんな無茶なことはないだろうなあと思いながらも指示通りに靴を持っていくことにしました。(<荷物がかさ高くなる・・・。結局は入所日初日は「黒の革靴」だけでした。
とほほ・・・。)
必要なものには含まれてはいませんでしたが、サンダル(<居室〜浴室までの間は使用可だそうです)もあれば送れば良かったな入所後に思いました。
ただし、たいていのものはベルシャインやその向かいの100円ショップ(<かなり大きい)で入手可能のようです。
(よほど送料が高くつかなければ新規購入ではなくできるだけあるものを送るようにしたかったのですちょっと後悔、という意味です。)
(後日追記)
ベルシャインですが要するにダイエーです。地元系スーパーがダイエーの傘下に入った、が正確なところのようです。
駒ヶ根では「ベルシャイン」「ダイエー」は同じものを指し、一部では「ベルこま」(<ベルシャイン駒ヶ根店の略?)と呼ばれているそうです。
チラシにも「ダイエーグループ・ベルシャイン駒ヶ根店」と表記され、中身はまさにダイエーです。
ただし、「うちの実家の近所のダイエーよりは小さい」などの評判もあるようですの過度の期待はなさらないほうがいいのかもしれません。
(<が、2階をヤマダ電機に貸し出したらしい札幌の栄町のダイエーよりは大きいと思います。)
土曜日・日曜日にはKTCと「ベルコマ」(北割車庫)の間に連絡バス(駒ヶ根駅・高速バスターミナル経由)があります。
- 2001/09/04(Tue) ■ 訓練所に向けて出発しました。
明日の13:30までに駒ヶ根の訓練所に着かなければならないことになっていました。
朝に大阪を出発する駒ヶ根を経由する箕輪ゆきのバスもありますがこれに乗るとくやしいくらいにちょうどいい時間、13:07に駒ヶ根ICに着きますが、
バスが遅れる可能性を考えるとリスクが大きすぎます。次に考えたのが名古屋まで新幹線&名古屋から高速バスですが、
名鉄バスターミナルで隊員候補生とわかる方々に会うにちがいないというメリットがある反面、高い・朝早いなどのデメリットもあります。
それら以外の方法、例えば前日の夕方の駒ヶ根・箕輪ゆきのバスを使うなどをすると前泊が必要になってしまいます。
(<ちなみに東京近辺・愛知・岐阜・長野以外の道府県からの場合は宿泊費も支給されます。)
どうせ前泊するのならちょうど「青春18きっぷ」の1回残りもあるので普通列車で行くことにしました。駒ヶ根YHに宿泊することとして、
逆算していくと駒ヶ根駅からの最終のバスの時刻が16:00、思わぬネックです。さらに逆算すると高槻06:54発の米原ゆき快速に乗ると、
名古屋から中央本線回りでも、豊橋から飯田線回りでも、同じ16:00の最終のバスに乗れることがわかりました。せっかくですから飯田線でまたーりと行くことにしました。
高槻で乗りなれた水色の電車(<201系でいいんですか?)から快速米原ゆき(<これは221系ですね)に乗り換えます。
京都ですくと思っていたのですがますます混んできて彦根を過ぎてから少しすいたというくらい、予想外の展開でずっと立ちっぱなしでした。
米原で普通列車の岐阜ゆき電車(<117系)に乗り換えてもまだ混雑が続きます。結局1本逃してもいい大垣での乗り継ぎで座ることができ、
新快速の豊橋ゆき電車(<これが313系ですね?)で終点まで一直線で行きました。
実家に忘れ物をしたらしく、豊橋で電話をして訓練所に速達で送ってもらえるように実家に頼んでからこれから5時間乗りつづけることになる飯田線の岡谷ゆき
(<これが119系かな?)に乗り換えました。最初は混んでいましたが豊川あたりで座ることができました。
と気が付くと向かいの席の方がなにやら明らかに英語ではない外国語の単語をぶつぶつつぶやきながら覚えています。・・・もしかして同業者?、
そう思いましたが声をかける勇気もなく(?)しばらくおとなしくしていました。すると今度は網棚の荷物を降ろしました。荷物の中に靴が入っているのが見えました。
・・・ますます同業者と思えてきました。が、その方は飯田で下車されました。きっと別の筋の方だったのでしょう。
駒ヶ根駅には15:50に到着しました。予定通りしらび平ゆきの最終の16:00のバスに乗りました。降りるバス停は5年ほど前のYHのハンドブックを見て
「グランドホテル前」(<縁があるな^^;)とチェックしていたのですが、そのグランドホテルがつぶれていてバス停の名前が「駒ヶ池前」
に変わっていたために乗り過ごしてしまいそうになってしまいました^^;。駒ヶ根YHに宿泊される方はKTCに入所する隊員候補生(<訓練を終了して同意書を提出して
「隊員」となります・それまでは候補生です)の方があと2人と一般(?)の方が1人とのこと、自分は一番乗りでした。
夕食はソースかつ、ごはんに乗せればソースかつ丼となるところでしたがあえてそれはしませんでした。2人(自分ともう1人の隊員候補生の方)とで寂しく夕食の後、
しばらくしてからもう1人の隊員候補生の方も到着され、いろいろと積もる話などをしました。ペアレントさんのお話によると、
毎隊次何人かは駒ヶ根YHに前泊しているそうで、今回も時間が合えば(<こちらが合わせれば)KTCまで送ってくださるとのこと、ありがたくお願いすることにしました。