5回目の出張(パロ) [5th-9th August 2002]
5th Offical Trip to Paro
8/5(Mon)から8/9(Fri)までの4泊5日でティンプーからほんの60kmほど、空港のある街、パロへ出張しました。今回の出張から(だけ?)
「カウンターパートもついたことだし日本人は2人もいらね」ということで、自分はパロへブータン人のカウンターパートとドライバーの4人で行くことになりました。
(ずいぶんあっさりだな^^;。<外野の声)
出張の前々日の昼間あたりから妙に熱っぽい感じがして(これが恋の予感ならよかったのにね)、前日は準備を放棄してさっさと寝てしまいました。
そんなわけで出張当日の朝5:30ごろから準備を開始しました。7:15ごろにドライバーが迎えに来てくれて、スーツケースなどと毛布と寝袋を積み込んで出発です。
途中オフィスでパソコンなどを積んでパロに着いたのは9:30ごろでした。
パロゾン
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パロゾンカック病院
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標高2,300mということになっているパロですが沖縄と同じ緯度のブータン、そして8月ということでかなり暑かったです。
自分の熱なのか外の熱なのかわからない状態でパソコンを運び込んでセッティングを開始します。会場はパロゾン(城)の中の立派な会議室です。
新設された電話線の先がパソコンのモデムにつなげじゃないカー!というハプニングもありましたがなんとか回避できました。
ですがちょっと大きな声を出すと咳が・・・な状態、今日の部はとっても頼れる(100%お世辞抜き)のカウンターパートにお願いすることにしました。
なんとか夕方まで乗り切りましたが何の因果か、ワークショップにご参加いただいた方の中に病院関係者がいらっしゃって、宿泊先はパロのゾンカック病院
(Paro Dzongkhag Hospital)の個室の病室(Private Cabin)になりました。2人用の病室にエキストラマットレス^^;
を入れてもらって自分と3人のブータン人とのまるで修学旅行のような楽しい夜を迎えました。
一眠りしてみてもあまりに体調を悪く、それを見かねた頼れるカウンターパートが看護婦さんを呼んでくださいました。(そう、ここは病院でした。)
やってきたのは日本人のような、んでもってとてもかわいい(・∀・)看護婦さんでした。それだけで熱が上がってしまったのか(おい)、
熱は102.4F(39.2℃)もありました。一眠りした後でこれということは昼間はどうだったのでしょう、ザイー。そんなわけで咳と熱の薬をいただきました。
(ブータンでは原則として医療費は無料です。JOCVなどの外国人ボランティアも同様に無料です。個室の病室は1日あたりNu.200(540円)の別料金ですが、
病院のスタッフの方のご厚意でタダで宿として使わせていただいてしまいました^^;。)
と、波乱の幕開け39.2℃の発熱で始まった出張ですが、それでも日本人がいない、ブータン人しかいないという環境がこんなに楽しく、そして楽(手抜きという意味ではなくて)
なのかと思った一夜でもありました。いいカウンターパートやドライバーに恵まれた幸せ、これは一生忘れられないと思います。
翌日のワークショップはお休みをいただいて病室でずっと寝ていました。つまり出張入院生活^^;です。熱はだいぶ引きましたが、咳は相変わらず、
そんな状況で翌日の朝まで一歩も病室からは出られませんでした。こんな状況でも「風邪移すなよゴルァ!」「おれの仕事が忙しくなるYO!」なんてことを
一切言わずにパンやお菓子、ミネラルウオーターを街で買ってきてくれたブータン人カウンターパート&ドライバーに本当に感謝です。ブータン人の優しさに感激しました。
ワークショップのようす(1)
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ワークショップのようす(2)
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3日目からはなんとかワークショップに復帰して、4日目全部と5日目の午後を担当しました。
相変わらずかなーり緊張しましたが以前からの頼れるカウンターパートにもお褒めのお言葉を頂戴し(そりゃもちろんお世辞も入っているでしょうが)、
なんとか乗り切ることができました。
3日目の夜には昨年12月のホームステイプログラムでお世話になったゾンカ(Dzongkha)の先生のところとホストファミリーのところへ、そして4日目の夜には
パロゾンカックのオフィサーのみなさまとの飲み会^^;もといディナーに参加させていただきました。ディナーではなるべく多くの人と話そうとうろちょろしていましたが、
話しすぎたおかげか、あるいはゴのケラ(帯)のおかげか、あまり食べられませんでした。(飲んだくれたわけではありません。本当に。)
今回は初日の朝にティンプーを出発して、最終日(5日目)の夕方のワークショップ終了後にティンプーに戻るというスケジュールで、
しかもパロへは何度も来たことがあったということもあって観光は一切しませんでしたが、
日本人抜きでブータン人だけのところで活動をするということの楽しさを初めて知った有意義な出張でした。
(世界各地の「日本人がいないところで活動をされている」協力隊員のみなさまがうらやまスィと改めて実感しました。)