初めての出張(タシガン & タシヤンツェ) [29th March-14th April 2002] Part4
1st Offical Trip to Trashigang & Trashi Yangtse Part4
- 8th April 2002(Mon) ■ 出張11日目
タシヤンツェでのワークショップ初日です。ゲストハウスからゾンまでは車でわずか5分ほどです。ゾンの入り口でアレンジなどを担当してくださっている Planning Officer
を待ちます。Planning Officer が来る前に白ではない色のカムニをしたした男性がやってきました。「ざ、ザイー・・・。」(<白ではないカムニは要注意なのです。
「地球の歩き方」には「もしハデな色のカムニをした人が向こうから来るのが見えたら脇によけ、うつむいて通り過ぎるのを待つのが無難だ。」とあります。)
その方はダショーゾンラッブ(Dasho Dzongrab=副知事)でした。
国旗
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タシヤンツェゾンの入り口
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午前中は準備でしたがその間にメールの送受信をしました。Druknet (ブータン唯一にして最大の電話会社ブータンテレコムが運営するブータン唯一にして最大の安心の
インターネットサービスプロバイダ)のパッケージ(いわゆるサービスプラン)変更がされていない件でゴルァ!メールをしておいたのですが、
ようやく Druknet からの返事が返ってきました。「電話したけど連絡つかなかったYO!」と書いてありました。・・・おいっ、出張中だって言ってるっちゅーに^^;。
えーい、速攻で返信だっ。「用事があったらタシヤンツェの Planning Officer のところまで電話してYO!」
そう書いて数十分後、本当に電話がかかってきました。や、やべっ。電話で&英語でけんか(<おい)だなんてそんな難しいことをしなければならなくなるだとは・・・、
自業自得。覚悟を決めて話し始めました。
「3/4にNu.500払ったYO! 領収書もあるYO! そっちに控え残ってないの?」
「ないNE!」
「申込書も書いたYO! そっちで保管していないの?」
「見つからないNE!」
「・・・ザイー。領収書にパッケージ変更の差額の費用だって書いてあったYO!」
「見せてくれYO!」
「だから出張中だYO!」
「だれか家にいないのか?」
「いないYO! 一人暮らしだけど何か?」
「いつティンプーに戻ってくるんだ?」
「今度の日曜日だYO!」
「持ってきてくれるとウレシ。」
「持っていくYO!」
とどこかの掲示板のような口調ではありませんが、こんな会話の末、結局は領収書を持っていくことになりました。何はともあれ英語が通じて一安心でした^^;。
ゲストハウスでの昼食後、午後からワークショップが始まりました。今回の参加者はなんと26人で、しかも2クラスに分けずにすることになりました。
なんとか乗り切って^^;、その日の予定は終了しました。またーりと明日の準備などをしていると Planning Officer が「早く帰ろうよー」と催促します。
タシヤンツェゾンにはお坊さんがいないので役所のビジネスアワーが終われば施錠されてしまいます。そんなわけで慌ただしく退散しました。
(<一般にゾンは政治と宗教の拠点とされており、役所のエリアとお坊さんのエリアに分かれています。お坊さんのいるゾンではゾンまるごと施錠されることはないそうです。)
- 9th April 2002(Tue) ■ 出張12日目
この日からは至って(?)平和に進みました。夕方に街へ買い物に行きました。ドライバーと他の日本人が買い物をしている間に、隣の店
(ティンプーゆきのバスのきっぷも売っています)の前で集っている人たちの輪に首をつっこんでみると、そこのお店のお姉さんに「うちの店においでよ。
マギー(インスタントラーメン)食べない?」とお誘いをいただいてしまいました。長居できなかったので明日また、ということにしました。
夕食前にダショーゾンダ(Dasho Dzongda=知事)の公邸へ行きました。どうやらプリンタードライバーのインストールをしてほしかったらしいですが、
他に優秀な日本人システムエンジニアが2人もいるので自分はダショーの家に住み着いている猫2匹と遊んでいました。ブータンのお酒「アラ」を
2杯いただいて、ゲストハウスに戻りました。(<「アラ」とは焼酎と似たお酒ですが推定アルコール度数は30〜40度とかなり強いです。ブータン人は
"Bhutanese Wine"という表現を使いますがアルコール度数の割には飲みやすいのはワインと同様かと思います。)
ダショーゾンダ公邸
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ダショーゾンダ公邸の猫
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- 10th April 2002(Wed) ■ 出張13日目
この日はタシヤンツェでも、ティンプーよりも4日遅い"KUENSEL"の発売日でした。ドライバーが13:00に唯一の販売店で聞いてみると「まだ来ていない」、
16:00に聞いてみると「もう英語版は売り切れた」とのことでした^^;。県庁所在地で"National Newspaper"を名乗る新聞を入手できないとはいかがなものか^^;。
(<きっと売れる部数ぎりぎりしか仕入れていないと思われ。)
夕方はまたしてもローミング。昨日のお店へ行こうとしていると急遽車でのローミングに変更になりました。反対側の丘の上の伝統工芸学校の駐車場でツェチュ(Tsechu=お祭り)
の踊りの練習をしているのを見学してからダショーゾンダの公邸でディナーをいただきました。懲りずにやっぱり話題は献血話のほうへ・・・^^;。タシヤンツェの病院には
Blood Bank はないんだよねぇ・・・、で血液型は? あ、オレと同じじゃん。そんな感じで盛り上がっていると停電が・・・。タシヤンツェの電力事情はかなり悪いようです。
- 11th April 2002(Thr) ■ 出張14日目
そろそろティンプーに帰りたい、そう思った今日この頃です。ティンプーには前日に平成13年度第3次隊の協力隊員が到着してきっと今頃は盛り上がってるんだろうなあ
(<何が?)、そんな感じです。夕方にゲストハウスでまたーりとしていると例のお店から呼び出しの電話がかかってきました。「プレゼントを用意して待ってるから来てね
(はぁと)。」 19:00過ぎからミリンダ(<ペプシが発売しているファンタオレンジのようなもの)を飲んで語り始めてゲストハウスに戻ったのは21:30ごろでした。
おみやげにタシヤンツェではさかんな漆器の器をいただきました。ブータンの風習として空では渡さないで中に何かを入れて渡すそうで、いただいた器には米粒が入っていました。
余談ですがタシヤンツェからティンプーまで(約600km)のバスの運賃はNu.450、2泊3日かかるそうです。
- 12th April 2002(Fri) ■ 出張15日目
タシヤンツェでの最終日の朝、起きるとチベットの山々がとてもきれいに見えました。が、そんなこととは関係なく^^;この日も停電に見舞われました。
午前中の中程で休憩時間をとるとちょうどお茶が出てきて、さてそろそろと思うと今度は停電・・・。仕事をさせないつもりなのでしょうか^^;。
ゾンで軽くランチをいただいて、ゲストハウスでもご用意いただいていたランチをいただいてから伝統工芸学校へ見学に行きました。
ワークショップにもご参加いただいた校長先生(<校長先生は輪島塗の研修のために日本に来られたこともあるそうです。)が直々にご案内してくだいました。
クラス8(8年生=中学2年生に相当)を修了後、入学試験・面接を経て入学が許可されるそうで、彫刻、仏画などなどを一通り学ぶそうです。いわゆる「ブルーカラー」
であることを誇りにするように、いい品質のものを作るようにと指導されているとのでした。帰りににおみやげに漆器の器をいただきました(<2個目です(^^))。
帰りに例のお店でビスケットを買ってからタシヤンツェを後にしてタシガンへ向かいました。
タシガンに戻ってからまず最初に"KUENSEL"を購入しました。Thimphu では次の号が明日発売されるというのに^^;。読者の投稿・意見コーナーには
「タシヤンツェではMRP(Maximum Retail Price)が守られていない。1.5倍の値段で売っている店もある。サンドロップジョンカ(Sanmdrup Jongkhar=
タシガンから南へ約180kmのインド国境の街)から運んできた1週間古い肉を売る商売も現れた」といったものも載っていました。何というかタイムリーというか、
そう思っていましたが、まさかこの夜に食べたボークカレーの豚肉にあたることになろうとは・・・^^;。
チベットの山々 (1)
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チベットの山々 (2)
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