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何かあったときだけ追加される日記@ブータン
初めての出張(タシガン & タシヤンツェ) [29th March-14th April 2002] Part2
1st Offical Trip to Trashigang & Trashi Yangtse Part2
31st March 2002(Sun) ■ 出張3日目
一夜明けたその朝、7:50に起きました。洗面所と呼べるようなものはないので外に出て歯を磨きます。眼下にはタシガンゾンが見えました。 宿泊したロイヤルゲストハウスには部屋はわずかに2室、いずれもシャワー・トイレなし。トイレは共同のものが1つ、 キッチンらしいものがありましたが実態は洗面所にもならないといった感じでした。部屋の中は極めて無機質でベッドがそれぞれ2つと3つ。 ブータン人曰く"Dormitory"、日本人曰く「ロイヤルじゃないゲストハウス」。だれに聞いてもその真意は不明なネーミングのゲストハウスだったのです。 (<近くに別の豪華そうなたぶんホンモノの"Royal Guesthouse"があります。) しかしこのようなネーミングのゲストハウスに1泊できた(しかも無料!) ことは貴重な経験と言わずしてなんと言いましょうか(^^)。
ロイヤルゲストハウス?
タシガンゾン
名残を惜しみつつ、荷物を車に積んで今夜から6泊する、タシガンナンバーワンの高級ホテルであるドゥルックデジュンホテル(Druk Denjung Hotel)へ移動しました。 朝食は昨夜に夕食を食べたところと同じレストランへ、そこでフライドライス(早い話が焼き飯)を食べました。それからは文字通りの休日です。 自分はブータン人スタッフがアーチェリー場(ただの広場にも見えないでもないけど的などはある)でアーチェリーを楽しんでいるのを双眼鏡持参で見学しに行きました。 アーチェリーはブータンの国技です。ブータン人スタッフ2人はティンプーからアーチェリー道具一式を持ってきたというほどの大のアーチェリー好きで、 大会に出場して賞品としてテレビをゲットしたり、また、国内ランキングでも上位にランクインしているくらいの腕前です。どうやら地元のアーチェリー好きも集まって (事前に声をかけていたと思われ=用意周到)いました。
ブータンのアーチェリーは的と的の間の距離が100m以上あります。一方の的のあたりから矢を射ます。 全員が終わったら反対側の的のあたりへ移動して元の場所の的に向かって矢を射ます。普通に素人が見ていると命中したのかどうなのかがわからないくらいの距離です。 (<なので自分は双眼鏡を持っていきました。)
そしてまずは練習開始です。2本の矢を一通り放ちます。そして向こうの的へ移動していきました。しばらくすると「ばしっ」と矢が飛んできました。 放ってから的のあたりまでで3秒ほどかかるようです。100m以上は離れているというのに誤差は1m以内、8人が放った16本の矢のうち3本が命中しました。 まさに「ザイー・・・」です。
いよいよ試合開始です。ランチを賭けての試合のようです。8人から1本ずつの矢を集めてリーダー格の人が(?)が後ろでシャッフル、そして左、右とその矢を割り振ります。 これでチーム編成が決まるようです。ぼーっと見ていたのですがそのうちギャラリーが増えてきました。制服を着た警察官まで来ていました。さすがは国技です。
こんなに遠くから射ます。
こうやって矢を射ます。
適当にホテルに戻ってシャワーを浴びたりしているとそのうち昼になりました。ホテルで昼食を食べた後、ローミングと称してタシガン近郊にあるブータン人スタッフの 実家を目指してみることになりました。しかし、道路工事が途中で止まっていたために途中で挫折して引き返してきました。 その帰りに山火事を目撃しましたがなすすべもなくといった感じで、ブータン人も「ザイー・・・。」 消防車が近づけるところでもなくそもそも道もありません。 この山火事は後日の"KUENSEL"にも載っていました。
タシガンの市街地(1)
タシガンの市街地(2)
タシガンのバス乗り場
エマ(とうがらし)干し中
夕食後またーりとしていると、ジャカールでも同じ宿でモンガルでも見かけた外国人(人のことは言えない)が1人で食事をされていたので話しかけてみることにしました。 フランスから来られた方でブータン政府の依頼で文化の研究をされているそうです。なんと過去に45回(くらい)もブータンに来られているとか、ザイー・・・。 数週間ステイしてフランスに戻って、また来て・・・そんな繰り返しだそうです。なんとか英語も通じてよかったです。
1st April 2002(Mon) ■ 出張4日目
いよいよお仕事初日です。今日はスーツを着て出勤(?)しました。民族衣装であるゴ(Gho)を来ていると、ダショー(Dasho)ゾンダ(Dzongda=県知事) がお見えになった場合にブータンのディグラムナムザ(Driglam Namzhag=礼儀作法)に従って振る舞わなければならないのですが、さすがになかなかできません。 (<例えばダショー以上の地位の方と面会する場合には「こちらの汚れた息が高貴な方にかからないように距離を置き、うつむき加減で直視せず、左手で口を覆ってしゃべる。 相手が大臣級以上の場合は、さらにへりくだり、部屋に入ったところで挨拶し、何か聞かれるたびに一歩前に出、左手を引っ込めた袖先を口にあて、小声で答えて (聞き直されるくらいがよしとされる)一歩下がることを繰り返す。」(「地球の歩き方」による)だそうなのです。)
タシガンゾンにパソコンなどを運び込んで準備を始めます。あまり広くない部屋に20人ほど来るとか、ザイー・・・。 結局は午前と午後のクラスに分けることになったようです。電気の配線もなかなか大変です。スタビライザー(電圧安定器)を通さないと安心して電気が使えませんが、 その問題に加えてパソコン関係のプラグは形が違うことも多いのです。 持参したマルチプラグなどを駆使(?)して配線していると自分のマルチプラグのヒューズが飛んでしまいました。 (<ブータン人スタッフにたばこのアルミ箔で応急修理していただきました(^^)。ザイー・・・。4Aのヒューズが簡単に飛んでしまうだなんていったい・・・。 次は電話回線のテストです。日本ではFTTHだかADSLだかISDNだかの4文字熟語が流行ってようですがブータンではそのようなものとは無縁で、 インターネットへの接続は最大33.6kbpsでのダイヤルアップ接続が普通です。
昼休みはホテルに戻って昼食を食べました。午後(<と言っても13:00から14:00が昼休みなので実際には14:00)からワークショップがスタートしました。初日は特に出番はなく、 明日の予習を・・・と思ったところ、運び込んだデスクトップパソコンが3台のうち2台が電源入らず、残りの1台も調子が悪いとか。ザイー・・・。
タシガンゾンの門
タシガンゾンからの景色
チェックポストのある鉄橋が見えます。
(高低差600m)
ワークショップ終了後にティンプーでは土曜日発売の"KUENSEL"を買いに街で唯一の"KUENSEL AGENT"の看板を掲げるお店へ。深く考えずに"KUENSEL one, please." でNu.10払って受け取ると明らかに紙の質がティンプーのものよりも悪い"KUENSEL"でした。どうやら地方では紙の質がちがうようです。(でも印刷は同じ Thimphu なのに・・・。) 「どこかで見たことのある記事だな」と思って日付を見てみるとなんと先週のものでした。「ザイー・・・。」 月曜日の夕方なら最新のものが手にはいると思ったのが間違い、 ティンプーで土曜日の朝に買える"KUENSEL"、タシガンで手にはいるのは水曜日だったのです。(月曜日の朝にティンプーから発送しているとか。それでも「新聞」 なんだろうか?)
2nd April 2002(Tue) ■ 出張5日目
いよいよワークショップデビュー(?)の日でした。初日にダショーゾンダがお見えにならなかったので今日も来ないだろうと勝手に確信してゴを来て出勤(?)しました。 午前中のウエブと電子メールを担当しました。いやあ、緊張、緊張。(以下自粛。) この日のハプニング(ではないけど)と言えばお手洗いを借りようとすると ダショーゾンダの部屋を通ってその奥のお手洗いに通されました。じゅうたん敷きの広々した部屋でした。
3rd April 2002(Wed) ■ 出張6日目
デビュー(?)してしまえばこちらのもの(何が?)、そんなわけで前日とは別のゴを着ました。自分と同じようなデジタルカメラを持って回っている人がいるなあと思っていると、 "KUENSEL"の記者さんが取材に来られていました。今回はもう写りたくなかったので写らない場所に待避していました(おい)。 記者さんからコメントも求められましたのでかっこよく答えておきましたが、自分のコメントは何も載っていませんでした。ちょっと残念^^;。 どうやら同じ日にBBS(テレビ)も取材に来られていたようですが、家庭用のビデオカメラだったらしく気づいたのは記者さんが帰られてからでした^^;。
さて、ディグラムナムザの1つ、カムニ(Kabney=白い長い布)の着用ですが、外国人と言えどもゴを着たときにはこれを守らねばなりません。 ゾンの中ではカムニを着けなければなりませんが、落ち着きなく動き回っているとけっこうすぐに外れてしまいます。(元はただの長い布なのです。) 着けなくてもいいよと言ってくださったので部屋の中で動き回るときにはとっていました。が、午後の休憩時間に前触れなくダショーゾンダがお見えになりました。 や、やばい・・・。「いいよ、いいよ。」といった感じで握手をして出て行かれましたが後で聞いたところによると「Planning Commission の新しいブータン人スタッフと思われていたよ」とのこと。ゴを着ると100%と言って過言ではないくらいにブータン人と思われる日本人ならではの悩みです(?)。
午後の部がつづがなく進む中、外が暗くなり雨が降り出し雷が鳴り出し・・・。そんなときでした。電話回線と接続していたパソコンのモデムポートのあたりから白い光が・・・。 ザイー・・・。過電流でした。幸いにもパソコンは再起動すれば問題なかったようです。 そしてこの夜、最新の"KUENSEL"をティンプーから遅れること4日でようやくゲットしました(^^)。
4th April 2002(Wed) ■ 出張7日目
久しぶりのお湯浴びをしました。この日の昼食はホテルの1階にある、「地球の歩き方」には味のほうは不明と書かれているパン屋さんペマベーカリー(Pema Bakery) で買ってみました。ショートケーキや菓子パンの類を3個買いましたがお値段はNu.22(61円)でした。一般に(高級ホテルのものであっても) ブータンのスポンジケーキは空気が少なくて重い(胃に来る感じ)なのですが、ここのスポンジケーキはふんわりしておいしかったです。
夜は別のレストランで夕食をとりました。とてもおいしかったですが、「○人前」という概念がまるでないくらいにライスもおかずも大盛りで残してしまうのが心苦しかったです。 辛いエマダツィやチキンカレーなどのおかげでライスはかなり進みました。ビールも飲んでこれで3人でNu.225(610円)でした。
ペマベーカリー
散髪屋ブータンサロン
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