初めての出張(タシガン & タシヤンツェ) [29th March-14th April 2002] Part1
1st Offical Trip to Trashigang & Trashi Yangtse Part1
活動の本業?の出張が2002年3月から始まりました。最初の行き先は東の果て、タシガン&タシヤンツェ。運がいいのか悪いのか、
でもとにかくこれが自分にとって「基準」になれば後々楽かもしれません。
- 29th March 2002(Fri) ■ 出張1日目
7:10にすみかにドライバーが迎えに来てくれました。配属先でノートパソコンやプロジェクタ、そして各ゾンカックに配るデスクトップパソコンなどを積んで
8:35に出発しました。今回は車2台で、1台はタシガン(Trashigang)とタシヤンツェ(Trashi Yangtse)へ行く自分たちが乗った車、もう1台はタシガンの後ペマガツェル(Pemagathsel)
へ行くブータン人の計画委員会事務局の職員が車です。(ペマガツェルはタシガンの南にあるゾンカックですが協力隊員は行けないゾンカックの1つです。)
ティンプー(Thimphu)からシムトカ(Simtokha)まではパロ(Paro)やプンツォリン(Phuntsuoling)への道と同じ道で、
シムトカのにあるブータン唯一と思われる立体交差のあるジャンクションでタシガンまで500km以上ある長い道へ入ります。
一気に高度を上げてティンプーを出てから40分ほどでチェックポストのある集落ホンツォ(Hongtsho)に着きました。ここでロードパーミットのチェックを受けなければなりません。
ドライバーがチェックポストの建物に走っていきましたが係官がいません。他の何台かの車のドライバーも「???」です。
結局はドライバーがそこに置いてあったスタンプをセルフサービスで押して通過しました。
さらに10分ほどで標高3,100mのドチュラ(Dochu La)という峠に着きます。晴れているとブータンの最高峰のカンガープンスン(Gangkar Puensum)(標高7,541m)
を眺望できるようですが霧のおかげでほとんど何も見えませんでした。
チェックポスト
|
ドチュラ
|
そこからは峠を下ること2時間で標高1,200mのウオンディフォダン(Wangdue Phodrang)です。街の入り口に大きな川、そしてそれにかかる橋(新しい橋の建築工事中)、
そして見上げると丘の上にゾン(Dzong)、もちろん山の中ではありますが新鮮な光景です。橋を渡ってウオンディの街に入ってそこでかなり早い昼食となりました。
11:30ごろでした。ここを逃すと次の大きな(?)街は130km先(5時間後)のトンサまでありません。ライス・干し肉(豚肉だったかな?)とエマ(とうがらし)を煮たもの、
ダル(豆の汁物)、そして紅茶でNu.60(160円)でした。
ウォンディフォダンから50km、2時間でペレラ(Pele La)(標高3,350m)を越えます。その途中ヒョウが横断するところも見ることができました。
そして長い下り坂を進むことさらに2時間で谷の向こうにトンサ(Trogsa)ゾンが見えました。ようやく次の街が見えたと喜びましたが、
大きく谷を迂回しなければ街にたどり着けませんでした。トンサ(標高2,200m)の街に着いたのは16:00ごろでした。
トンサのホテルでお茶休憩となりました。そこでトイレを拝借しましたが、最初から電球がついていないのか、ろうそくの明かりでした。うーん、
なんともロマンティック(^^;です。
やっと見えたトンサゾン
|
トンサの街の中心
|
ヨートンラ(Yotong La)(標高3,546m)を越えます。もうすぐ4月だというのに雪が舞っています。ザイー・・・(ブータン人の驚きの表現)。
トンサを出発してから2時間30分ほど、18:20にようやく今夜の宿泊地、ジャカール(Jakar)(標高2,800m)に着きました。
(・・・実はこの日は車中でほとんど寝ていたのですが・・・。)
運んできたパソコンなどもすべて部屋の中に運び入れます。(なかなか重労働^^;。) 道路の状態も運転もかなり激しかったのですがパソコンは大丈夫かなぁ?と思いました。
お宿はカイラゲストハウス(Choezom Kaila Guesthouse)です。電気は自家発電だそうで、着いてから発電が開始されました。暖房は電気ではなくボカリ(薪ストーブ)でした。
ボカリの暖かさ、部屋の雰囲気、そして食事も最高でした。(これで・・・なら・・・(自粛)。) 夕食のメニューはライス、カリフラワー入りカレー、豚の脂身の角煮、
エマダツィ(とうがらし&チーズ)にんじん、パクシャパ(豚の煮込み・一般的にはだいこんととうがらしが入る)からだいこんととうがらしを抜いたもの、
菜っぱと盛りだくさん、外国人を意識したメニューのように思われました。(<自分も外国人だろうが^^;。)
- 30th March 2002(Sat) ■ 出張2日目
翌朝は7:00に起きて朝食をいただきました。朝食のメニューはトースト(薄くて小さいけど事実上おかわり自由!)、たまご(調理方法はオーダーできる)、
コーヒーに紅茶もお好みで。ジャムはパイナップルジャムがありました。よく寝たせいか、事実上の食べ放題をいいことにかトーストを6枚などなどたくさん食べました。
(日本にいたときと何も変わっていない(^^)・・・。) 宿泊費は1室ツイン利用の場合でブータン人は400Nu、外国人は500Nu、外国人ツーリストは750Nuとなっていました。
ということで自分の支払いは250Nu。それと夕食が120Nuに朝食が70Nuでした。
パソコンなども再び積んで8:30ごろに出発しました。今回の行程の中ではいろいろな意味で一番きついのがこのジャカールからモンガル(Mongar)(標高1,500m)
の7時間・200kmの道のりです。(とはいえドライバーさんが一番大変) ジャカールを後に最初は川沿いの比較的まっすぐの道を、
そしてしばらくすると北海道の富良野か十勝の北のほうをあたりを少し思わせるのどかな光景の中を少しずつ高度を上げていきます。
途中灰色で顔だけ白いサルを見かけました。
ジャカールゾン
|
ジャカールの先の風景
|
峠では雪が舞うのは昨日と同じです。ウララ(Ura La)、トムシンラ(Thrumshing La)(標高3,779m)の2つの峠を越えて下り始めます。
ジャカールを出発して4時間、しばらくすると谷の向こうに大きな滝が見えました。谷の向こうに見える道路のすぐ下から数百m下の谷に一気に落ちる滝です。
1998年にはこの谷にバスが転落して59人が亡くなった事故もあったそうです。
15:00ごろにモンガルに着きました。病院内に Blood Bank のある数少ない街です。モンガルの総合病院は東部の拠点病院と位置づけられているそうで
聞くところによると新築中の総合病院の建物にはブータンで4台目のエレベーターが設置されるそうです。(現存する3台はチュカの水力発電所、
ティンプーの総合病院、パロの空港のターミナルビルにあります。)
モンガルではかなり遅い昼食をいただきました。ライス、ドライポーク、なす+とうがらし、オムレツに紅茶というメニューです。かなり辛かったです。
辛さに慣れたつもりでも上には上が・・・。
モンガルへの道
|
モンガルの街
|
モンガルを出発してから30分もしないうちに道路がふさがっています。「これが噂のロードブロック?ザイー・・・」と思いましたがただの道路工事でした。
交通量が少ないことをいいことにがけを切り崩して国道を塞いでしまうその工事スタイル、まさに「ザイー」です。車が何台か詰まったのを確認してか(?)、
ようやく通り道が確保されて移動再開です。コリラ(Kori La)(標高2,250m)を越えて下ると今度は川沿いの赤茶けたがけを切り崩したような道になりました。
17:20ごろ、タシガン(Trashigang)ゾンの真下にあるチュザム(Chuzam)のチェックポスト(推定標高800m)に着きました。道標によるとティンプーまで537kmとありました。
チェックポストの建物は新築中らしく竹であんだかごのような建物がチェックポストの(仮の?)オフィスとなっていました。
ここでチェックを受けて大きな橋を渡ってから尾根を避けるように上ること10km、高低差600mの坂を上りきるとタシガンの街(推定標高1,400m)に入ります。
ロードブロック?
|
チェックポスト
|
さて、何事もなければお宿にチェックインして1日休んで月曜日からワークショップ開催となるはずだったのですがそうは問屋が卸してくれませんでした。
宿泊予定だったらしい(本当に予約していたのかはかなり怪しい^^;)立派なゾンカックゲストハウスへたどり着くとなにやら十数人のブータン人が並んで待っています。
「東部の人は親切だ」、そう聞いていた自分。まさか歓迎の出迎え? 「ザイー・・・」
しかしよく確認してみると他のパーティーの予約が入っていて今夜は満室だとのことでした。
同行のブータン人の職員曰く"We have two options." ・・・ってことは予約してなかったですか? まさに「ザイー・・・」。
ということでもう1つの選択肢となっていたらしいホテルへ。しかしそこも満室でした。
(後で聞いた話によると予約を一旦入れたけれども日程の変更が確実にできていなかったらしいです。) なんと"Special Case"として"Royal Guesthouse"
に泊まれるように手配してくださいました。「ザイー・・・」 ロイヤルですよ、ロイヤル! すでに外は暗くなっていましたが"Special Case"やら"Royal Guesthouse"
とやらの単語、「王室の賓客をもてなす宿泊施設」(勝手な翻訳)とはいかなるものか、どきどきしてしまいました。
その夜も同じくパソコンなどすべての荷物を運び入れてからタシガンの街へ食事へ出かけました。レストランで食べたエマダツィはブータン人のスタッフも「辛い!」
という辛さでビールが進んでしまい、さらにビールを買ってロイヤルゲストハウスの外でもその続きとして飲んでいました。
谷を挟んだ向こう側のゾンカックゲストハウスからはパーティーで盛り上がるブータン人の歌が・・・。