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パロでのホームステイプログラム&現地語(ゾンカ)訓練 [24th-28th December 2001]
Homestay Program & Dzongkha Lesson in Paro



 世間ではクリスマスイヴだったらしい12/24から12/28までの4泊5日の日程でホームステイプログラムがありました。目的はブータン人の生活習慣を知ることで、 その期間中に合わせて現地語(ゾンカ)の訓練も行われます。場所は空港のある街、パロ(Paro)です。同期の協力隊員は自分を含めて6人、ホームステイ先も6軒に分かれました。 ゾンカの講師をしてくださるブータン人がホームステイプログラムのコーディネータでしたが、まずじゃんけんで勝った某隊員がそのお宅にホームステイすることが決定しました。 そして、各ホストファミリーへのごあいさつを兼ねて、山に登りながらコーディネータが「君はここね」とホームステイ先のお宅を決めていきました。

Landing Drukair DRUK AIR の着陸 Paro Dzong パロゾン(城)


 自分がホームステイさせていただいたお宅は6人の中ではコーディネータのお宅に近い順で3番目、 お父さん・お母さん・やんちゃなご令嬢(3歳)の3人家族のところでした。建物自体は2階建てで1階には親戚の方が住まわれていました。ということで厳密には核家族ではなく 「2世帯住宅」というのが正しいのかもしれません。お母さんは英語を話せますが、お父さんには英語は通じません。ご令嬢はなかなか馴染んでくれなくて、 極めつけはさとうきびで殴りかかられてしまいました^^;。(ついでに"Uncle"(おじさん)と呼ばれる年になってしまったことを実感しました^^;。)

 初日の午後の午後のレッスンの後はホストファミリーのところに戻り、ボカリ(<薪で暖める煙突ストーブ)のある唯一の部屋でちょっと緊張しながら夕食とくつろぎタイムです。 赤飯(<せきはんに非ず・「レッドライス」)がお皿に山盛り、そしてかなり辛いポークチリ(<豚肉&とうがらし)やダル(<豆のスープ)、干し肉などが小さな小鉢に数品、 そして紅茶といったメニューでした。「かなり辛いけど大丈夫。」、そう思っている自分に対してしきりに「辛くないか?」と気遣ってくれるホストマザーでしたが、 「日本人向けに辛さを控えめにしている。」とこの時点ですでに自分も気づいていました。それでも辛いおかずのおかげでご飯が進みます。 たくさんのおかずに囲まれた食事に慣れると見た目は確かに華やかさには欠けますがおいしかったです。

 アパ(ゾンカで「お父さん」)とはなかなか会話をできませんでしたが、こんなこともあろうかと思って隠し持っていた秘密兵器(?)、 自分の載った"KUENSEL"のゾンカ版とネパール語版のおかげで少しは話題を共有できたと思います。本来はもっとゾンカを勉強しなければいけなかったのですが、 なかなか覚えるのが難しかったです。

 そんなこんなで終わったホームステイの初日、窓の下の壁のすき間からはパロの夜景も見えないでもないお部屋でスイートな(?)クリスマス・イヴの夜を過ごしたのでありました。 (何の夢を見たのかはひ・み・つっ!)

Distant View of Paro Dzong 少し遠くから見たパロゾン Opposite Side of Paro Dzong 反対側から見たパロゾン
Bridge nereby Paro Dzong パロゾンのたもとの橋 Main Street of Paro パロの街並み


 昼間はときどき外出しました。パロゾンや丘の上にある国立博物館(National Museum)にも行きました。期間中はおおむね晴れのいい天気でした。 国立博物館はじっくり見れば半日はかかる内容ですがとても興味深かったです。

 パロ郊外のドゥゲルゾン(Drugyel Dzong)にも行きました。現在では廃墟になっていて見学は自由にできるようです。 トレッキングコースの名前にもなっているジョモラリ(Jomolahri)(標高7,326m)をここから見ることができます。冬場は天候も安定してきれいに見えるそうで、 実際きれいに見えました。このトレッキングコースの一部は以前はチベットへ抜ける交通路として利用されていたそうです。

Drugyel Dzong (1) ドゥゲルゾン その1 Drugyel Dzong (2) ドゥゲルゾン その2
Drugyel Dzong (3) ドゥゲルゾン その3 Drugyel Dzong (4) ドゥゲルゾン その4
Drugyel Dzong (5) ドゥゲルゾン その5 Jomolahri from Drugyel Dzong ドゥゲルゾンから見たジョモラリ


 その帰りに遠くから有名なタクツァン(Taktshang)僧院を遠くから見たり、7世紀に立てられたという由緒あるキチュラカン(Kyichu Lhakhang) にも寄って見学させていただいたりもしました。

 ちょうどホームステイ期間中にプジャ(Puja=法要)が自分のホストファミリーの親戚宅とご近所宅でありました。日本のように地味な印象はまるでなく、 遠方の親戚もご近所も一同に会して、お坊さんの読経やホラ貝やドラの演奏(?)などに始まり、お酒も入り、そして夜になるとみんなで踊り始めます。 8畳くらいの板の間で10人くらいが輪になって、だれかが踊り(歌付き)を決めて、そしてみんなでそれをします。その人が終わると次の人が次の踊りを決めて・・・です。 ブータンでは何事も時計回り、もちろんこの踊りも時計回りです。チョルテン(Chorten=仏塔)にお参りするときにもマニ車(Mani Khorlo=経典が書かれている回転体・ 1回転させると1回お経を読んだのと同じ効果があるとされる)も時計回り、そんなわけで「マニワイズ(マニ回り)」も「クロックワイズ(時計回り)」と同様に通じるようです。 このときは3時間以上踊って自分のホストファミリーが帰るときにようやく自分も抜け出せました。帰り際に酔っぱらったお坊さんにからまれて(?)しまい、 やっぱりお坊さんも普通の人なんだなあと実感しました。

 ご近所宅のプジャではお面をした近所のおじさんがたいまつをもって片っ端から(?)そのあたりの家にうなりあるいは叫びながら乱入して部屋の中でたいまつの火の粉をふりまき、 小石をばらまいて・・・、ということがありました。その時、その家の住人はどこかに隠れるのが一般的なようです。ホストマザーはご令嬢とトイレに隠れていました。 自分は興味津々でその様子を見ていました(<「外国人だから隠れずに見学してもいいよ」と言われました)が思いっきり火の粉を浴びせられました。 秋田の「なまはげ」を連想させます。

Kyichu Lhakhang キチュラカン Monks for Puja プジャのために来られたお坊さん


 ホームステイプログラムが終わった12/28の晩にブータン外務省主催の外国人ボランティアを対象としたパーティーがありました。 協力隊員もご招待をいただいていましたので迷わず^^;行くことにしました。会場は屈指の高級ホテル、 外務省御用達のホテルリバービュー(Hotel River View)でした。軽くビールだけ飲んで、手当たり次第に無節操に周囲の方々に話しかけてみました。 下手な英語でもなんとか通じてよかった、 よかった(^^)と浮かれてあっちこっちに移動して話をしているとどうやらいつの間にか「首相」とも握手をしてしゃべっていたらしいです^^;。 (<「あの人、首相だよ」と他の協力隊員に言われて知りました。知らないことはやっぱり強いです。)

 ちょこちょこと胃に入れて、さらに「外務大臣」と握手をして、ほどほどに退散しましたが、退散の頃には別室でダンスパーティーが始まっていました。 流れていた曲は「ヤングマン」。どうやら外務大臣の趣味のようでした。この1週間で普通のブータンと西洋風(?)ブータンをまとめて見た気がします^^;。



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